入浴中に考えてみた

  • よく「ゲームの悪影響」と呼ばれるもののかなりの部分は、本来は最高の教科書であるはずの「現実」が退化しているところから来ているはず。
    • 仮に「TVゲームが普及しているが3世代同居、4世代同居が当たり前で近所付き合いも濃厚でみんな病院でなく自宅で最期を迎えている並行宇宙」に行ったら、小学生は「死んだ人間生き返る」とか言ってないはずだ
  • 物語製品を批判する際に用いられる「リアリティがない」はそもそも勘違いだ。リアリティが物語に勝ったことなど一度もない。
    • 「ストーリーは駄目だがリアリティがあって面白い」はありえない*1が、「リアリティはないがストーリーは面白い」は存在しうる。
  • というかストーリーを楽しむための最優先事項は感情移入であって、「リアリティがない」から感情移入を阻害されるということはありえるような気がするが、結局はストーリーの善し悪しとの綱引き部分も大きいのではないか
    • だいたい、「最近の」という視点の検証は可能なのか? リアリティという切り口ではあまりあてにならぬ。宇宙戦艦ヤマトの設定にはリアリティがないが、だからどうした。
      • そもそもファーストネームに官職名を付けて読んでるガンダム世界にリアリティを感じていた人は教養が足りないとか片づけてもいいはずだ、っていうか同時代にそういう批判がなされていたのは記憶しているぞ
    • 世代間格差といっても、「思い出は美しすぎる効果」と「初めて出会ったものが最高のものだった効果」に支配されているだけで、つまりは、ある作品にどういうタイミングで接したか、というだけではないのか。
  • 「世界の箱庭感」というか、ほどほどのドラマで止まっていて本当の危機とか本当のドラマがないからリアリティがない、という批判と設定レベルのリアリティの有無を問うのは等価か異質なのかという問題に還元できるのか?
    • まあどのレベルまで抽象化するかの話であって、異質でもあり等価でもあるのだろう。
      • 「異質である」とするならば発生原因を追及して、それを分析することで今後登場するであろう作品がどのようなドラマ構造で構築されるべきかを考察することが可能になるはず
      • 「等価である」と片づけてしまうならそこで終わり? いや「なぜ異質であると錯覚されるのか」という点を論じることが可能で、つまりは世代を定義する話になるはず。
  • っていうかリアリティって何? 作品の「説得力」乃至は「納得力」ってだけであって、物理法則とか運命とかとは違うから、読み手個々の内面的問題に過ぎないわけで、客観的真理としてのリアリティは、存在しないわな。

*1:いや自分のような病人は面白がるかもしれないが、それは面白がっているだけであって作品が面白いのとはちょっと違う