今日の買い物

 というわけでリカオーに移動。道中の話題は主に東京で行われている会話がいかに駄目かという話。
「起承転結じゃないんですよ。まあまあ面白そうな『起』があっても、『承』で、『びみょー』か『でも○○のパクリだよね』で終わってしまうんですよ」
「確かにそんな場所は滅んでしまえという感じだな」
 とかそういうの。自分哲学としては面白いかつまらないか(別に儲かるか儲からないかでもいいけど)であってパクリか否かを考えるのは無意味というか、つまりはJ.A.シーザーが言うように「ありとあらゆる新奇なるものは忘却されたものに他ならぬ」と思っているし、そもそも聖書の段階でパクリが始まってるんだからそんなの気にしてどうするんだとかいう気がするのだが。
 まあそういう展開になる動機は話をそれ以上広げようという意欲がないか、単純に何かを貶めることで優越感を得ようというだけのことだとかは理解できるのだが、だからといって「理解できる」と「滅んでしまえ」というのは矛盾無く両立できるし。
 その他にも東京の危険性に関する様々な話題であるとか、たこ焼きを買うという行為の意味とか、ハリーがどうやって明日高知に行くのかとか、マツモトさんが現れるとファミマが現れてアイマスが撤去されるとか、そういう良くない話題がいろいろなされた。
 なお、リカオーに行くと、なぜかポーションの限定版が売られていたので脈絡無く買ってみたりもした。