アラジンさんにかこつけて投げっぱなしの話

註:読んでもあまり面白くないので読みやすくする努力は省略しました
 デュエリストの世代格差(http://d.hatena.ne.jp/cdc/20041207#p3)を読む。
 まあこの種の世代わけは現実をモデル化するための方法論であってつまりは現実の不完全な投影に過ぎないとか本当はデュエリストの数だけ世代があるはずだとかそんなものは人間は直接理解できないからモデル化類型化して理解した気分になる(ストーリーを獲得する)ためにはやっぱり必要だとか、そういうどうでもいい前提は投げ捨てておいて。
 こーゆーのはオッカムの剃刀というかなんというか「世代分けすることで何かがわかりやすくなるのであれば意味がある」という程度でしょう。もちろん事実とかけ離れた内容でも「ストーリー」が含まれていて理解しやすいのであれば意味はあると主張することもできるでしょうけれども。
 本物のプログラマーとか「マンチキン論」だとかは要するに世代論の一変種であって、「昔からやっている=偉い」と「古臭い方法論にしがみつく=ダメ」みたいな世代間対立のフリした何か違うものは永久に存在するでしょう、みたいな。
 FINALSの決勝でコミチューがストンピィに負けた時はあちこちで「世代交代」という謎の単語が出ていて、「アレは何じゃろ」とか困惑するフリをしたものです。ハリーとかは「こんな歴史の短いものに世代なんてあるわけない」とか言い切っていたし、まあそれが本当なのですが一応蛇足的に追加。
 要するにコミュニティ(ムラ)ってのは(現実に存在するにせよ仮想的なものにせよ)身内意識を共有している以上はある種排他的なものだし、したがってヨソモノに対する反感みたいなものは多かれ少なかれ存在するし、新規参入者は本来的にヨソモノであって、つまりは「世代」って表現はコミュニティ外から来た人間にレッテル貼りしてるだけじゃないかとボード版SLGTRPGコンピューターゲームとSFとTCGとその他色々見てきた自分としては思うわけですが。
 マニア度の高い世界の場合、「○○に対する思い入れ」はコミュニティを形成させる強力な要因で、○○の中身が年代によって変化することで「○○世代」というラベルが妥当なような錯覚が発生する、ってだけだと思います。マンチキン論は「D&Dしかなかった時代に始めた人間」と「すでにRQがあった時代に始めた人間」の世代間対立(それと新参者に対する反感)で構成されているとか分析するフリをすることもできますが、もちろんそんなのもフィクションだと思います。
 時間的な広がりによる差異がそれほどなかったボード版SLGの場合には「ヒストリカル派」と「ゲーム派」みたいな仮想的なコミュニティが存在するふりしていて、雑誌上などで色々対立していたように見えたものです(遠い目)。
 マジックの場合に「日本語版以前」みたいな世代っぽく見えるラベルが使えるケースもあるかもしれませんが、基本的に「テンペスト世代」みたいなラベルの妥当性(ラベルで指示される中身に、共通性とか他者との差異性があるのかとか)は「高校生デュエリスト」「関西勢」「フジケン組」なんかとどっこいどっこいか、もう少し低いぐらいじゃないかと思います。